ペルシャでチャランポラン
 −イラン四千年ダイジェスト−  -5-

文・写真/河野朝子

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 



--->拡大表示
 ハムラビ法典のレプリカ
 (テヘラン、考古学博物館)

 

こで歴史の話をする。

 教科書ノリで言えば、現在イランがあるあたりに最初に国家らしきものが登場したのは紀元前2000年頃、ハムラビ法典で名高きバビロニアとその隣国カッシートである。
 この頃製造されたとおぼしきガラス器がイランでは出土しているが、その遙かあとに日本の正倉院までその文明がたどり着いたのかと思うと感慨深いものがある。
 ちなみにハムラビ法典が出土したのはイランとイラクのちょうど国境近辺なのだが、「ウチのだ」「いや、こっちのだ」とイランとイラクが言い争っていたところにフランスがやってきて「ハイハイ、喧嘩するならウチで預かりましょうねぇ、君たちには精巧なレプリカをそれぞれ1つずつあげましょう」てなワケで御本尊は現在ルーブル美術館にある。テヘランの博物館で、そのレプリカを眺めつつ、なんかうまいこと言って持ってかれちゃった気がしないでもなかった。

 カッシートとバビロンが入れ替わり立ち替わりそのあたりを制していたあとに新バビロニアだのメディアだのアッシリアだのの流れがあり、そしてそのあと、そこいら一帯、西はブルガリアやギリシャ、南はエジプト南部、東はインダス川、北はカザフスタンまでを領地としたのがアケメネス朝ペルシャである。ここで初めてペルシャの登場だ。これがだいたい紀元前6〜7世紀のこと。学校では『古代オリエント』として習った覚えがあるだろう。

 そのアケメネス朝ペルシャのダリウス1世が建造したのがペルセポリス宮殿である。後に(紀元前4世紀頃)アレクサンダー大王によって焼き討ちにあった。ペルセポリスというギリシャ風の名前で他国からは呼ばれているのはそのためである。現在では遺跡としてその姿を残していて、我々観光客を気が遠くなりそうに壮大な歴史へといざなっているのだ。


      <---Back   ... To be continued.  

 


Webmaster :
ammo@tokyo.fujifilm.co.jp
Copyright :
マカロニ・アンモナイト編集部