|
|
ペルシャでチャランポラン 文・写真/河野朝子 |
|
|
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ |
|
|
ここで歴史の話をする。 教科書ノリで言えば、現在イランがあるあたりに最初に国家らしきものが登場したのは紀元前2000年頃、ハムラビ法典で名高きバビロニアとその隣国カッシートである。 カッシートとバビロンが入れ替わり立ち替わりそのあたりを制していたあとに新バビロニアだのメディアだのアッシリアだのの流れがあり、そしてそのあと、そこいら一帯、西はブルガリアやギリシャ、南はエジプト南部、東はインダス川、北はカザフスタンまでを領地としたのがアケメネス朝ペルシャである。ここで初めてペルシャの登場だ。これがだいたい紀元前6〜7世紀のこと。学校では『古代オリエント』として習った覚えがあるだろう。 そのアケメネス朝ペルシャのダリウス1世が建造したのがペルセポリス宮殿である。後に(紀元前4世紀頃)アレクサンダー大王によって焼き討ちにあった。ペルセポリスというギリシャ風の名前で他国からは呼ばれているのはそのためである。現在では遺跡としてその姿を残していて、我々観光客を気が遠くなりそうに壮大な歴史へといざなっているのだ。
|
|
Webmaster : ammo@tokyo.fujifilm.co.jp Copyright : マカロニ・アンモナイト編集部 |
![]() |