ペルシャでチャランポラン
 −イラン四千年ダイジェスト−  -4-

文・写真/河野朝子

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 テヘランの街並み

 

ヘランの街を見てまず驚いた。これでもかというくらい街路樹が並び、落ち葉が清掃され、花壇では新しい花が植えられている。よくある観光地のように、見栄張りたくなるくらいの数の旅行者が来るところではないハズだが、アジアやアラブの混沌を期待して思い描いていた私は面食らってしまった。これでは看板のペルシャ語がなければ、どこぞの中欧と言われてもわからない。
 パリの環状線並みに整備されたハイウェイや、日本の団地も顔負けの集合住宅群。どこと限定できるわけではないが、極めて“フツー”の都市である。
 出発前に「イランて暑いんでしょう?」などと聞かれたが、(残念ながら)そんなことはない。テヘランは高い山脈の中腹の首都、気温は同時期の東京とほぼ同じだ。

 さて、サッカーである。
 私がイランに着いたのは、ワールドカップのプレーオフ第1戦がテヘランで開催され1-1でオーストラリアに分けた次の日であった。この話題はチトまずいかなぁ、と思い、出会うイラン人たちに敢えてその話題は振らないようにしていたのだが、彼らはニコニコしながら「フートボル(football)ジャポン!」と親指を立てたりして声をかけてくるのだ。「いや、えーーーっとぉ、次のオーストラリア戦はガンバってね」と日本語で答えるしかない。オーストラリアはそのまま「オーストラリア」の発音でも認知された。選手でもない人間に「ガンバって」もへったくれもないもんだが、どうやら日本人がイランを応援しているぞ、というのは伝わったようである。彼らと接しているとイランチームにはなにがなんでも勝ってもらわないといけないような気分にさせられるのだ。


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